真砂女さんの店、小料理屋「卯波」は銀座というより京橋に近い裏通りに有りました。 小柄で和服の上に割烹着を着て、店の奥の隅のカウンターに座布団を二枚重ねて、ちょこんと座っています。80歳を超えてもお元気でNHK教育テレビの俳句番組に選者としてお出になっている時の感じそのままです。 もう10年以上も前のことです。私が仲間たちと企画した、おおやま豆腐祭り「大寒の日の夜ばなし」のメインゲストにお呼びしたその翌年のことです。 私を覚えていただいているか不安でしたが、「あっあの時の方ですね」とおっしゃって頂いて嬉しく思いました。9人座れるカウンターは一杯でした。文人、政治家、財界人が通ってくると聞いていましたが、私がその人たちの顔を知る由もありません。 奥の小座敷に通されました。一緒に行った仲間とともに真砂女さんと暫らくお話しをしながらお酒を 飲みました。「うちはね、たいした料理は出来ないんですよ、でもね新鮮なお刺身出しますから、食べていってくださいね」。ただただゆったりとした時間を過 ごすことが出来ました。誰の作か忘れましたが、床の間に真砂女さんと会った喜びを簡潔に表した一句が掛かっていました。 鈴木真砂女さんは大変な波乱の人生を過ごされました。実家は房総の老舗旅館,今の名は「鴨川グランドホテル」。結婚、離婚、再婚、出奔、恋。大波乱の人生 の中で、俳人として男女の愛の句を読み続けました。人生の労苦を感じさせないお顔。黒髪に唇に赤く一本紅を刷いています。それが凄く素敵でした。なんて魅 力ある人でしょう。2005年、96歳で逝かれました。 その後卯波の店は事情があり一度は畳まれましたが、同じ銀座に孫の宗男さんが復活されました。2010年11月、宗男さんと電話で思い出話をさせていただきました。様々な俳諧、文壇の方たちとの交流を伺い、今更に凄い生き様をされた方と感じました。 真砂女さんの人生は、丹羽文雄、瀬戸内寂聴が文章にしています。 人の魅力とは何でしょう。 最近、これも俳人の金子兜太さん91歳のお話。80をこえた奥様は末期の癌を患いました。主治医は40歳 の気の優しい誠意ある人。彼女は主治医に恋をしました。先生の転勤について彼女は一人何百キロ離れた病院に移り、そこで最期を迎える決意をします。兜太さ んの承知の上です。病院の近くの町で兜太さんの講演が有りました。奥様は病院を抜け内緒でそっと彼の話を聞いていました。講演で兜太さんは奥さんの話をし ました。奥さんは91歳の夫との強い愛を確信してその心を歌に詠みました。そして40歳の医師に恋しながらまもなくあの世に飛び立ちました。優しいお顔の奥様でした。 人を愛する。他を認める。なんと素晴らしい方々だろうと思いませんか。 ![]() 春、野山に野鳥の声がする。目白がさえずり、ウグイスが初音を歌う。その声が聞こえる人と、聞こえない人といる。路傍の小さな花がそっと咲くのを見て、生命の息吹を感じる人と、感じない人がいる。 時に、詩人や俳人の感性は素晴らしい、とても真似を出来ないと思う。いつも雑事ばかりが目の前にあり、心澄ませる事など忘れてしまっている。
夏が終わり、オミナエシが咲くと大山では祭りの庭で平安の昔のように少年達が武官の姿りりしく装束をまとう。そしてオミナエシの花を冠に差し、榊葉を手に面白く楽しく舞う。 昔、光源氏が「紅葉の賀」に紅葉を冠に差し舞った時。見る人たち皆その美しさに涙したという。 |
![]() 私儀恐縮ですが、私は一見難しい人間に見られがちですが、実は全然違います。 |